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'07 Jan. 18 10:03 PM
正月に。
正月に実家の埼玉に行きました。そのときに・・・
初めての試みで、実際に通った小学、中学、高校を車で回って見ました。
小学校は3年の終わりに九州から転向してきたところで、はだしだったこと、「〜ばい。」と九州弁だったことを以前友人に思い出話の中で指摘されたことがありますが、記憶は遠い彼方。
中学校も小学校同様今の実家のすぐ近くにあり、あっという間に回れました。誰もが持つ印象同様、幼き頃を過ごしたところは小さく見えるものでした。
高校は、この顔のせいか、とにかく怖がられ、半年たつまで、ほとんど、特に女の子は私に話しかけてもくれませんで、今現在まで付き合いのある友人は残念ながら一人もいない状態。いわゆる旧友というのは、小学・中学のときの友人だけです。(大学の友人はまた別にして)
覚えているものですね。自転車で30〜40分ほどの距離にある高校まで、実際に使っていた通学路をたどって行ってみました。
お茶所なので、茶畑を通り、西武新宿線入曽駅を抜け、やや開けた所を真っ直ぐに。冬の寒い時期は風が強く、なかなか前に進まなかったあの道路。中学からの友人と共に自転車をこいだあの道。右手には小学校越しに富士山が見え、好きでもあり、嫌いでもあったあの道。車で通るとあんなに短い距離だったとは。
在学中はまだ砂利道だった森の中。アスレチックはもう朽ち果てていましたが、いまだに夢によく出てくるのが不思議です。そこを抜けるとまた開けた土地と小学校。左手に多少新し目の中学校が建っていて驚きました。
ここを曲がれば踏切があったはず。ありました。もう20年近く経った今、20年近くぶりに通った道をまだ覚えていたことにうれしさがこみ上げました。
正月ということもあり、どこ学校も入ることなどできませんでしたし、入るつもりのありませんでしたが、あまりに昔のままの状態がうれしさを超えて、驚きでした。
土地もある埼玉。バブルも経過した埼玉。さいたま市は開発の一途をたどっている埼玉。
何であんなに昔のままだったんだろう・・・あそこはもう開発を見放されてしまっているのだろうか・・・
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