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'07 Aug. 15 10:37 PM

8月15日に戦争を伝える

 整理した言葉で終える自信はありませんが、書きます。

It continues here.

 終戦を迎えて62年。記念日なのかは判断できないので、終戦記念日ではなく、終戦日とします。終わったかどうかも定義が難しいのですが。

 まだまだ幼い存在に戦争を伝えました。6日、9日の原爆については伝えた後です。
広島出身の友人がいて、『6日には小さな子から、老人まで、街全体で、黙祷をするんだ。
広島にとって原爆の存在は本当に大きい。犠牲者の2世、3世がたくさんいた。』
など、様々な話を聞いていたので、それに私自身の考えもまじえて伝えました。

 まずは今日がどんな日か。そして第2次世界大戦と太平洋戦争について。
本当は日清戦争あたりから話さないとなぜこの戦争が起きたかが理解できないとは思うのですが、
それには時間がないのと、自分で調べて欲しいのを考え、あえて。

 靖国神社について。どういう施設として建てられ、戦争中にどんな存在だったのか。
戦後どうしてA級戦犯が合祀されるようになったのか。それに首相始め、政治家が参拝することに
なぜ中国や韓国は反対するのか。

 ここで私がどのような説明をしたのかは割愛します。
ここでそれについての論争をするつもりがないからです。
ここで書きたいのは、なぜ説明をしたのか、そのときの心理的な動きです。

 戦争が終わったとされる日から62年。私の年を裕に越える年月が過ぎている。
それは私が戦争を経験していないことを意味し、イコール私は戦争を知らない。
では、知らないから伝えることはできないかというと、そうではないと思う。
もしそうなら、戦争経験者がいなくなったら伝えるものは存在しなくなるわけで、
それでよいとするのは、戦争を伝える必要のないものと考えるに到ってしまう。

 では私は何を伝えたのか。

 事実。

 この事実というのが難しいのである。歴史書に載っていることが事実なのか。
それは非常に危ない志向であろう。歴史書を作る人間の見識がすべて事実を語っているとは
到底思えないし、だからといって、とかく批判的に物事を見るばかりでもいけないと思う。

 つまり、様々な資料を見て、それを自分で判断する力が必要になると思うのです。
そして、だからこそ伝えるという行為には非常に注意深くなる必要があると思っています。

 私がどうして毎年幼き存在に対し、戦争について、原爆について伝えるのか。
難しい理由は用意していません。

 単純に、必要と感じるから伝える。

 それは確かなこと。ではなぜ必要なのか。忘れてしまうと、またやってしまうから。

 戦争は経験していません。でも心から経験したくありません。それが理由です。

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